ケーテー製作所のあゆみ



創業について

創業

1910年(明治43年)10月、創業者上月秀太郎により、本所区小梅瓦町28番地(現在の本社の地・墨田区向島)に

機械製作工場を設け、ケーテー組製作所(個人経営)として創業を開始致しました。

創業当時は清涼飲料水用ガス充填機を主に製造販売しておりました。

創業者、上月秀太郎

上月秀太郎は東京高等工業学校(現在の東京工業大学)を卒業後、中島機械工場、日本皮革会社、日本製靴会社や桜組等の

大工場に職を奉じ、実際に就いて経験をした後、日露戦争後に欧米先進国工業の実際を視察研究する官費留学の栄誉を得て

渡航し数々の成果を収めて帰国後、事業を立ち上げました。

創業者

創業者、上月秀太郎

官費留学する際のパスポート

官費留学する際のパスポート

ケーテーの名前の由来

上月秀太郎と実弟である田中米次郎の両名の苗字上月(こうづき)と田中(たなか)のイニシャルをとって、またKとTで兄弟仲良く組んでとのことで

ケーテー組製作所と命名されたと云われています。

この中で兄弟きょうだいは兄弟けーてーと読めることも掛けていると云われています。

当時はカタカナの名称は、かなりハイカラとされたとのことです。

1965年に現在の社名であるケーテー製作所に改名されますが、創業当初の「ケーテー」の名が今も用いられています。

創業間もない頃に工場の前にて

創業間もない頃に工場の前にて

創業当時の製品

創業当時、ガス充填機(麦酒の製造機械)を中心とした清涼飲料水関連の設備を中心に製造販売をしており、

その他にポンプ類、製薬機械の製作を行っていました。

また、販売先としては、陸軍衛生材料廠、工業試験所、大日本麦酒会社、東京毛織会社、明治製革会社等を始め

一般清涼飲料水製造業者として活躍致しておりました。

幾多の困難な時代

関東大震災

大正時代に入ると12年には関東大震災に見舞われ工場は全焼しました。

ただその際会社にとってかけがえのない図面は、そのとき工場の寄宿舎に寝泊りしていた社員の機転で、

工場内にあった井戸に投げ込んでくれて図面の消失だけは免れたと云われています。

太平洋戦争

昭和の時代に入ってからは、世界大恐慌や金解禁に伴う大不況に見舞われ、そして満州事変、太平洋戦争へと突入しました。

昭和20年3月10日の東京大空襲でも工場は全焼してしまいました。

戦争の時代は飲料の機械など製作するすべもなく、軍需工場の下請けの仕事をしていたと云われています。

戦後、社長突然の逝去

戦後、工場が再開しましたが物資が不足し、操業をするのが大変な時代が続きました。

朝鮮戦争による特需のお陰で一部好景気が到来しましたが、従来からの清涼飲料であるラムネは、

進駐軍より不衛生(内部のビー玉が洗浄できない)との判断もあり、好景気の波に乗れずに時代が進んで行きました。


昭和29年、当時2代目社長を務めていた上月行雄が病により逝去しました。

戦後の復興期の中で会社の建て直しに尽力していた中での、突然の悲劇でした。

ケーテー製作所の存亡の危機が訪れるのです。

戦時中の工場の様子

戦時中の工場の様子

戦後復興期の製品カタログ、英文の表記もある。

戦後復興期の製品カタログ、英文の表記もある。

復興期の頃の社屋

復興期の頃の社屋

2代目社長

2代目社長 上月行雄

事業転換期

医薬品業界、化粧品業界への進出

上月行雄の死去後に上月俊子が社長に就任しました。

家庭の主婦からの突然の会社経営への転進でありました。

清涼飲料水の製造機械は、以前の活況からは程遠く、また戦後米国などから新たな清涼飲料水が登場し、

ケーテー組製作所の主要な取引先の町の飲料メーカーは事業を続けていくことができなくなりました。

社長の上月俊子は、このままではジリ貧になってしまうとの思いから、

今までの経験が少しでも生き、そして将来性のある業界を求め続けたのです。


昭和30年代半ばに製薬業界から仕事の依頼がありました。

当時の製薬機械は大半が輸入であり、1ドル360円の時代であり外貨準備高も不足していた為に、

外貨は割り当て制となっていて製薬会社は設備投資もままならなかった時代でした。

その様な時代の中で、半自動の1本立てのキャッパー(ネジキャップを締める機械)の需要があり、

機械を納入する業界も製薬会社、化粧品会社そして食品会社と拡がり、次第に経営も安定してきた時代でした。

また、機械メーカーの社長が女性とは非常に珍しい時代でした。

3代目社長

3代目社長 上月 俊子(当時)

成長期

新たな技術の創出

1960年代、医薬品その他各種自動包装機械の設計、製作の受注増加により、製品内容が大きく転換していく中、

国内初の全自動キャッパーを始め、綿詰機、定量式液体充填機、各種中栓機、シーマーと独自の技術を次々に開発していきました。

各機種のロータリー化を図り、ライン化を完成。1964年には海外への輸出を開始しました。

80年代には業界で初めてマイコン搭載機を発表、さらにメカトロニクス化を推進し、90年代の機械の完全サーボ化、

操作パネルのビジュアル化につながっていきます。

経営の近代化

会社の業績も次第に安定してきた中、新たなお客様を獲得すべく、展示会にも積極的に参加しました。

同時に社員の福利厚生の充実を図ることも積極的に行いました。

制度の開始と共に適格企業年金に加入して、社員の将来に対する不安を軽減するとともに、

社員旅行や社員家族を含めたバス旅行なども開催し家庭的な雰囲気をもっていました。

制度変更に伴い、適格企業年金は確定拠出年金と姿を変えて現在にいたっています。


創業65周年の昭和50年に株式会社ケーテー組製作所から現在の社名である株式会社ケーテー製作所に変更しました。

包装機械展示へ出品

包装機械展示へ出品

大阪万博見学

大阪万博見学

社員家族バス旅行(マザー牧場)

社員家族バス旅行(マザー牧場)

創業60周年記念祝賀会

創業60周年記念祝賀会

事業場の拡張

昭和39年に本社工場を建設し、また本社工場より徒歩4分の地に昭和50年の第二工場を開設いたしました。

東京の地ではこれ以上の拡張は難しく、また次第に手狭となっていきました。

製造拠点を新たに獲得する必要が出てきました。


平成2年、新たな製造拠点として埼玉県春日部市に埼玉工場が完成しました、製造拠点を移転いたしました。

本社から電車で1時間程度と比較的アクセスも良い点と、従業員の多くが埼玉県方面在住であることから、

住まいを変えずに済む点を考慮した新製造拠点の選定でした。

埼玉工場開設により、当社の主たる開発方針でもある設計からアフターメンテナンスまでの一貫体性が確立されました。

第一期埼玉工場竣工(平成2年)

第一期埼玉工場竣工(平成2年)

当時の会社表札

当時の会社表札

発展期

新たな取り組み

埼玉工場が竣工して間もなく、日本経済はバブルが崩壊して長く暗いトンネルを通ることになりました。

日本国内は成長の弱い先の見えにくい時代でしたが、1994年、上月清が4代目社長に就任し、

不況の時こそ次代に備えるべきとの思いから、技術開発に努めてきました。


また技術を取り巻く環境にも取り組みに着手しました。

品質保証部を新設し、各種法規制に対応した、バリデーションを開始。

現在ではコンピュータ化システムバリデーション(CSV)まで含め、完全対応を実現しております。

また、2013年にはISO9001を取得し、お客様により一層ご安心いただける会社の体制となっています。


従業員数が100人を超えるとともに、機械の受注も増え、営業、生産それぞれの拠点が手狭になっていました。

平成10年には当社の創業地に本社ビルを建築しました。

そして平成16年には埼玉工場の第二期建設工事を行って生産スペースは埼玉工場開設時の約2倍となりました。

その間にも、超微量インライン全数計量システム、アイソレータを含めた一貫ラインの開発、

時代を先取りしたリモートメンテナンスシステムなどお客様のニーズに即した数々の技術提案を行い、高い評価を受けています。

生産規模の更なる拡大、そして現代へ

平成20年に「リーマンショック」と云う米国発の大不況が世界中を巻き込んでいきました。

昭和時代初期のかつての「大恐慌」を凌ぐほどの有様となりましたが、

当社が納入する機械も高速化と周辺機器との連結運転により生産スペースが不足し始めた時代でした。

長くつらい不況の直後ではありましたが、成長発展を鑑み再度工場建設を進めることになりました。

幸運にも埼玉工場の隣地を取得できたことにより一気に工場建設を進めることができたのです。

平成29年には埼玉工場第三期建設工事として、

新しい組立工場(埼玉工場匠工房)と機械加工工場(埼玉工場真心工房)の2棟が竣工しました。

工作機械の増設により部品製作スピードが格段に向上したとともに、

組立て現場にはお客様の環境に近づけたクリーンエリアを備えており、

より安心してお任せいただける会社へと進化しました。

さらに埼玉工場を有効に活用するために既存棟(現在は埼玉工場本館)を全面的に改装し、

平成30年には生産スペースはさらに2.4倍となり次世代に相応しい工場として生まれ変わりました。

令和5年に、より迅速なアフターサービス対応の為、神奈川県にサービスセンターを開所しました。

時代とともに変化するお客さまの声にこれまで以上に寄り添える会社を目指して、

ケーテー製作所はかくして新たな歩みを始めたのです。

発展期
発展期
発展期
発展期